江戸時代のワンダーランド。第5回「お伊勢参り」-『お伊勢さん』DVDボックス。

宇治橋の鳥居です。橋の両端にあります。

57歳でフリーターになったUn lapinです。DVD『お伊勢さん』で伊勢神宮の歴史を学んでいます。

今回は、第5回「お伊勢参り」を紹介します。江戸時代には日本中の人々が伊勢神宮を参拝しました。江戸からは片道15日、大坂からでも5日かかる旅でした。

江戸の庶民にとってお伊勢参りとは、何だったのでしょうか。落語家の桂文珍さんと歴史家の金森敦子さんが伊勢を訪ねて探ります。

伊勢神宮を参拝する予定のある方は、ぜひ参考にしてください。

旅の道中

「東の旅は伊勢参り」

桂文珍さんの噺で始まります。『伊勢参宮神乃賑』、通称『東の旅』。喜六と清八による伊勢参りの道中を描いた一連の上方落語です。

大坂から奈良を通って伊勢へ、伊勢神宮をお参りし、近江・京都を廻って大坂に戻ってくる道中噺です。

伊勢神宮参拝の様子を描いた浮世絵です。大勢の人々が伊勢神宮を参拝する賑やかな様子が描かれています。外宮拝殿や内宮正殿の他に二見ノ浦や朝熊山、古市も見えます。

歌川広重(1797-1858)《伊勢参宮略図》国立国会図書館蔵

国立国会図書館デジタルコレクションより引用

東の旅

大阪から伊勢を目指す旅です。大阪から奈良街道で奈良へ、その後は初穂街道か伊勢本街道を経て伊勢へいたる山越えや峠越えの多い道中でした。

大阪から出発。玉造稲荷神社で文珍さんが旅の安全を祈願します。玉造は浪花講の発祥の地でもあります。

浪花講

安全な旅を提供するために作られた旅籠の組合。1804年(文化元年)に大阪玉造の松屋甚四郎らが結成しました。

全国の主要街道筋の優良な旅籠や休憩所を指定し、加盟宿には目印の浪花講看板を掲げさせました。

また、加盟する宿の他に土地の名所や名物を紹介した浪花講定宿帳を発行しました。

下駄を履いた文珍さんが峠を歩いきます。

暗越奈良街道

大坂から生駒山地の暗峠を超えて奈良に至る街道です。

鞍返り峠

暗越奈良街道の生駒山地における難所で、直線的な急勾配が続きます。坂の勾配がきつく馬の鞍がひっくり返った、と落語では言い伝えられています。

実際は木が茂り、昼も暗い峠だったので名づけられました。かつては沿道の峠村に本陣や旅籠、茶店が立ちならんでいた。

お土産と名産品

お参りの楽しみの一つです。

伊勢講で集められたお金で参拝します。講の代表としてお参りするため、皆の事を祈ったり、道中の名産品や最新の物産を土産として購入しました。

伊勢土産

伊勢根付け。伊勢玩具。伊勢白粉が人気でした。

伊勢暦

伊勢の御師が伊勢神宮の御神札とともに全国各地の檀家へ配布しました。当時の生活にかかせないものでした。

1871年(明治4年) に御師の制度が廃止されたため、暦は配布されなくなりました。現在は「神宮暦」として毎年発行されています。

1844年(天保15年)の伊勢暦を見ている女性を描いた浮世絵です。女性は弁慶縞の着物を着ています。

一勇斎国芳(1797~1861)《縞揃女弁慶 竹屋直成》国立国会図書館蔵

国立国会図書館デジタルコレクションより引用

山田羽書

伊勢山田の商人達が考案した金額を書き入れた預かり手形です。貨幣の代わりに預かり、手形として発行した日本初の紙幣です。換金して旅の資金を手にできました。

1610年頃に伊勢山田の町衆によって生み出され、明治時代まで約250年間、伊勢周辺で流通しました。

擬革紙煙草入れ

文珍さんが落語『猿後家』を演じます。「夕立ちや伊勢の稲木の煙草入れ、古るなる(降る鳴る)光る強い紙なり(雷)」

伊勢参りへ出かけた太兵衛が壷屋の煙草入れを土産に買ってきます。煙草入れには歌が書かれています。

擬革紙

和紙に柿渋を塗って皺をつけ、動物の革に似せたものです。1684年(貞享元年)に三島屋忠次郎が考案しました。丈夫で軽く、湿気に強いので煙草入れに加工して売り出されました。

当時は皮革が貴重だったので、擬革紙の煙草入れは伊勢参りの土産として人気がありました。昭和初期に生産されなくなり、技術は途絶えました。近年、伊勢擬革紙として再興されています。

東海道の旅

江戸から伊勢への旅は東海道を西へ進みます。富士山など景色の良い道中でした。

「箱根八里は馬でも超すが、超すに超されぬ大井川」

峠越えより川越えが最大の難関でした。

海の道

東海道には海を渡る道もありました。

宮宿

東海道五十三次の41番目。東海道最大の宿場でした。古くから熱田神宮の門前町として開けていました。

熱田神宮
三種の神器の一つ草薙剣をお祀りする神社です。第12代景行天皇の時代に、日本武尊のお妃である宮簀媛命が草薙神剣をお祀りしたのが始まりとされています。

宮宿までは江戸から9日ぐらいかかりました。ここから海路で桑名に渡ります。桑名からは伊勢の国です。

七里の渡し

宮宿から桑名宿までは「七里の渡し」と呼ばれた海路でした。熱田神宮から桑名まで海の道が7里(27.5km)だったことに由来します。

東海道における唯一の海路で、渡し船で4時間の旅でした。海難事故がしばしば発生する東海道の難所の一つでした。

桑名宿

桑名には大鳥居があります。伊勢神宮内宮の宇治橋に建っていた鳥居が20年経つと桑名に移されます。

伊勢参宮名所図会という伊勢参宮の案内書の画像です。1797年(寛政9年)に刊行されました。日永の追分の解説が絵を添えて詳細に記されていてます。

『伊勢参宮名所図会』「日永の追分」三重県総合博物館蔵

三重県総合博物館「コレクション」より引用

桑名からは陸路で伊勢へ向かいます。日永の追分で東海道から分かれて伊勢街道へ入ります。ここから伊勢までは70kmの行程です。

神宮周辺のお宮

夢輝のあさんがレポートします。

金剛證寺

標高が555mの朝熊山の山頂に、伊勢神宮の鬼門を守る金剛證寺があります。

「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」と伊勢音頭で唄われ、内宮を参拝した後に金剛證寺を参拝しました。

ご本尊の虚空像菩薩は20年に一度、式年遷宮の翌年に開帳されます。

二見興玉神社

御祭神に猿田彦大神を祀ります。正面に大小2つの岩が仲良く並ぶ夫婦岩が見えます。境内には御祭神の使いとされる二見蛙が多数奉献されています。

二見浦

古来より清渚と尊ばれ、江戸時代の参拝者は伊勢神宮を参拝する前に二見浦で禊ぎをしました。現在も御木曳やお白石持行事の前に、人々はこの地で身を清めます。

多度大社

御祭神に天照大神の御子神の天津彦根命を祀ります。北伊勢大神宮とも呼ばれます。

「お伊勢参らばお多度もかけよ、お多度かけねば片まいり」と言われ、多くの参拝者が立ち寄りました。

上げ馬神事

5月4日と5日に行われる荒馬神事です。境内の2mあまりの急斜面を馬で駆け上ります。上がりきった馬の数や順番で、その年の農作物の豊凶を占います。

津観音

「伊勢は津でもつ」と伊勢音頭で唄われました。本尊は聖観音菩薩。浅草観音、大須観音と並んで日本三大観音の呼ばれています。

「阿弥陀に参らねば片参宮」と言われました。国府の阿弥陀如来が天照大神の仏様の姿として庶民に開帳されたので、伊勢参りの人々の信仰を集めました。

香良洲神社

津市の南、雲出川の河口部にあります。天照大神の妹神とされる稚日女命を祀ります。

江戸時代、境内は海に面し、参道は茶屋で賑わいました。江戸時代の参拝者は、ここで一休みしてから伊勢へ向かいました。

2012年(平成24年)に落雷による火災で焼失しました。現在、御神体は隣の小香良洲社に祀られています。

20年に一度、伊勢神宮の式年遷宮の翌年に本殿と拝殿を建て替える式年遷座が行われます。

映像ではお木曳きの様子が紹介されます。遷座に合わせて20年に一度行われます。社殿造営の用材が氏子によって神社へ曳かれていきます。

伊勢参り、大神宮にもちょっと寄り

楽しみはお参りだけではありませんでした。江戸時代の庶民にとって、お伊勢参りは信仰心に加えて、娯楽としても大きな楽しみでした。

古市

内宮と外宮の間には古市という大きな花街がありました。江戸の吉原、京都の島原と並んで日本三大遊郭の一つでした。

伊勢参宮名所図会という伊勢参宮の案内書の画像です。1797年(寛政9年)に刊行されました。古市の妓楼で酒を飲む客たちを前にして、女たちが三味線に合せて輪になって踊る様子が描かれています。

『伊勢参宮名所図会』「古市のにぎわい」三重県総合博物館蔵

三重県総合博物館「コレクション」より引用

最盛期には妓楼が70軒、遊女が1000人、大芝居小屋が2軒を数える大歓楽街となりました。

伊勢音頭の総踊り

江戸時代に古市を代表する妓楼であった備前屋を描いた浮世絵です。名物であった伊勢音頭の総踊りの様子が華やかに描かれています。

歌川国貞(1786 -1865)《伊勢古市備前屋踊りの図》三重県総合博物館蔵

三重県総合博物館「コレクション」より引用

この浮世絵には伊勢音頭の総踊りの様子が描かれています。古市を代表する妓楼であった備前屋の名物でした。京都祇園の都をどりは、古市の伊勢音頭を参考にして作られました。

伊勢歌舞伎

芝居小屋では歌舞伎も上演され、華やかな芸能文化が繰り広げられていました。古市の芝居は東西の役者の登竜門となっていて、伊勢を訪れる人々の楽しみでした。

「伊勢音頭恋寝刃」は古市の廓の油屋で実際に起きた「お紺の油屋騒動」を脚色した演目です。

麻吉旅館

江戸時代に創業された旅館です。戦災を免れました。古市に残る当時の面影を偲ばせる唯一の建物です。

この宿で文珍さんが一席。『七度狐』を演じます。大阪から伊勢参りに向かう清八と喜六が主人公です。ひょんな事から恨みをかった2人が狐に化かされてしまう噺です。

伊勢音頭

伊勢音頭は荷物にならない伊勢土産と言われました。

伊勢商工会議所の女性部のみなさんが、伊勢音頭を踊る様子が紹介されます。伊勢音頭は全国各地に広がり、現在も各地で形を変えて歌いつがれています。

「ヤアトコセー、ヨウイヤナ」

「えーとこ、伊勢」というかけ声がかかります。

金森さんの故郷の祭の歌は、同じかけ声だそうです。このように、伊勢音頭は全国各地に伝えられ、その地で唄や踊りに作りかえられました。

芭蕉も、お気に入り

「たふとさに みなおしあひぬ 御遷宮」

松尾芭蕉が1689年(元禄2年)の第46回式年遷宮に際して詠んだ句です。

『奥の細道』の紀行を終えた芭蕉は、終着地の大垣から伊勢へ直接向かいました。芭蕉は生涯に6回以上、伊勢神宮を訪れました。

芭蕉は伊勢の国と接する伊賀上野の出身dat大正ので、深い伊勢信仰をもっていました。

楽しみは、お参りだけではありません

お伊勢参りには、いろいろな楽しみがありました。

伊勢へ来れば直接神様へお願いできました。神様に近づくことで、ありがたみが増します。

楽しみはお参りだけではありません。ご馳走は食べ放題、お酒は飲み放題、布団はふかふか。日頃出来ない贅沢が出来ました。

娯楽だけでなく、一方に神様がいることで心のバランスがとれました。

日常を離れる旅に対する憧れ、一生に一度という強い願いが人々の心を魅了しました。伊勢は憧れの地、江戸庶民のワンダーランドでした。

「伊勢」の記事です。

音楽によって、私たちは神様と繋がっています。第6回 「神に捧げる音楽」-『お伊勢さん』DVDボックス。

特典映像3.「宇治橋架け替え」-「お伊勢さん」DVDボックス。

特典映像「遷宮のお祭り」-『お伊勢さん』DVDボックス。

なぜ、続いてきたのだろう。 第4回「千三百年の伝承、式年遷宮の歴史」-『お伊勢さん』DVDボックス。 

どうして「いただきます」と言うの。第3回「神宮神田の一年」-『お伊勢さん』DVDボックス。

日本人の心の原点。特典映像「1年のお祭り」-『お伊勢さん』DVDボックス。

祈りは繋がり。第2回「神宮125社まいり」-『お伊勢さん』DVDボックス。

太陽に感謝。第1回「伊勢への道」-『お伊勢さん』DVDボックス。

『お伊勢さん』DVDボックス、伊勢神宮の歴史と行事を学び始めました。

ご存じですか? 参拝の作法。お伊勢さんへ行ってきました。

「伊勢うどん」と「地ビール」で屋外ランチ、伊勢のおかげ横丁は食べ歩きにおすすめです。

伊勢から鳥羽へ、鳥羽は穏やかな海と真珠の町です。

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