DVD『お伊勢さん』を通して伊勢神宮の行事や歴史を紹介しています。
今回は第5回「お伊勢参り」を紹介します。江戸時代に日本中の人々が伊勢神宮を参拝しました。江戸からは片道15日、大坂からでも5日の旅でした。
江戸の庶民にとってお伊勢参りとは何だったのか、落語家の桂文珍さんと歴史家の金森敦子さんが伊勢を訪ねて探ります。
伊勢神宮に興味のある方はぜひ参考にしてください。
旅の道中
「東の旅は伊勢参り」
桂文珍さんの噺『伊勢参宮神乃賑』通称『東の旅』でビデオは始まります。
六と清八の伊勢参り、大坂から奈良を通って伊勢神宮をお参りし、近江・京都を廻って大坂に戻る道中噺です。
東の旅
大阪から伊勢を目指す旅、奈良街道で奈良へ出て、その後は初穂街道か伊勢本街道を経て伊勢へむかいます。山越えや峠越えの多い道中でした。
文珍さんも大阪から出発して玉造稲荷神社で旅の安全を祈願します。玉造は浪花講の発祥の地でもあります。
浪花講
安全な旅を提供するために作られた旅籠の組合、1804年(文化元年)大阪玉造の松屋甚四郎らが結成しました。
全国の主要街道筋の優良な旅籠や休憩所を指定し、加盟宿には目印の浪花講看板を掲げさせました。また土地の名所や名物を紹介した浪花講定宿帳も発行しました。
暗越奈良街道
大坂から生駒山地の暗峠を超えて奈良に至る街道、下駄を履いた文珍さんが峠を歩いていきます。
鞍返り峠
暗越奈良街道の生駒山地における難所、直線的な急勾配が続きます。
「坂の勾配がきつく馬の鞍がひっくり返った」と落語は語ります。実際は木が茂り、昼も暗い峠なので鞍返り峠と名づけられました。かつては沿道の峠村に本陣や旅籠、茶店が立ちならんでいました。
お土産と名産品
伊勢講は仲間から集めたお金で参拝します。講の代表として祈る他に道中の名産品や最新の物産を土産にしました。
伊勢土産
伊勢根付け、伊勢玩具、伊勢白粉が人気でした。
伊勢暦
伊勢の御師が全国各地の檀家へ配布した当時の生活にかかせない暦
1871年(明治4年) 御師制度の廃止後は配布されなくなり、現在は「神宮暦」として発行されています。
浮世絵の女性は1844年(天保15年)の伊勢暦を見ています。
山田羽書
金額を書き入れた預かり手形、貨幣の代わりに預かり手形として発行された日本初の紙幣です。
換金して旅の資金を手にいれました。1610年頃に伊勢山田の町衆が考案して明治時代まで約250年間伊勢周辺で流通しました。
擬革紙煙草入れ
文珍さんが落語『猿後家』を披露、伊勢参りへ出かけた太兵衛が壷屋で歌が書かれたの煙草入れを土産に購入します。
「夕立ちや伊勢の稲木の煙草入れ、古るなる(降る鳴る)光る強い紙なり(雷)」
擬革紙
和紙に柿渋を塗って皺をつけて動物の革に似せたもの、1684年(貞享元年)三島屋忠次郎が考案しました。丈夫で軽く湿気に強いので煙草入れに加工して売り出されました。
当時は皮革が貴重で擬革紙の煙草入れは伊勢参りの土産として人気でした。昭和初期に生産されなくなり技術は途絶えましが、近年伊勢擬革紙として再興されています。
東海道の旅
江戸からは東海道を西へ進みます。富士山など景色の良い道中でした。
箱根八里は馬でも超すが、超すに超されぬ大井川
東海道の旅は峠越えより川越えが最大の難関でした。
海の道
東海道には海を渡る道もあります。
宮宿
東海道五十三次で最大の宿場です。古くから熱田神宮の門前町として開けました。
熱田神宮
三種の神器の一つ草薙剣をお祀りする神社
宮宿までは江戸から9日の日程、ここから海路で桑名に渡りました。桑名からは伊勢の国になります。
七里の渡し
宮宿から桑名宿までは「七里の渡し」と呼ばれた海路、熱田神宮から桑名まで海の道が7里(27.5km)であることに由来します。
東海道唯一の海路で渡し船に乗って4時間の旅、海難事故がしばしば発生する東海道難所の一つでした。
桑名宿
桑名にある大鳥居は伊勢神宮内宮の宇治橋に建つ鳥居が移されもの
桑名からは陸路で伊勢へ向かいます。日永の追分からは東海道と別れて伊勢街道、伊勢まで残り70kmの行程です。
神宮周辺のお宮
夢輝のあさんがレポート
金剛證寺
標高555m朝熊山の山頂に、勢神宮の鬼門を守る金剛證寺が建っています。
「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」と伊勢音頭で唄われたお寺、内宮を参拝した後は金剛證寺を参拝しました。
ご本尊の虚空像菩薩が20年に一度式年遷宮の翌年に開帳されます。
二見興玉神社
御祭神に猿田彦大神を祀る神社、正面に大小2つの夫婦岩が見えます。境内には御祭神の使いとされる二見蛙が多数奉献されています。
二見浦
古来より清渚と尊ばれ、江戸時代の参拝者は伊勢神宮を参拝する前に二見浦で禊ぎをするのが慣わしでした。現在も御木曳やお白石持行事の前に人々はこの地で身を清めます。
多度大社
御祭神に天照大神の御子神の天津彦根命を祀り、北伊勢大神宮とも呼ばれます。「お伊勢参らばお多度もかけよ、お多度かけねば片まいり」と多くの参拝者が立ち寄りました。
上げ馬神事
5月4日と5日に行われる荒馬神事、境内の急斜面を馬で駆け上ります。上がりきった馬の数や順番でその年の農作物の豊凶を占います。
津観音
「伊勢は津でもつ」と伊勢音頭で唄われました。本尊の聖観音菩薩は浅草観音、大須観音と並ぶ日本三大観音です。
阿弥陀に参らねば片参宮
国府の阿弥陀如来は天照大神の仏様の姿として御開帳されました。
この阿弥陀様に参詣しない伊勢参りは片参りと呼ばれて半分のご利益しかもらえないと言われました。
香良洲神社
津市の南、雲出川の河口部にあります。天照大神の妹神とされる稚日女命を祀ります。
江戸時代の境内は海に面し、参道は茶屋で賑わいました。江戸時代の参拝者はここで一休みしてから伊勢に向かいました。
2012年(平成24年)落雷による火災で焼失、現在御神体は隣の小香良洲社に祀られています。20年に一度伊勢神宮の式年遷宮の翌年に本殿と拝殿を建て替える式年遷座が行われます。
映像ではお木曳きの様子が紹介されます。遷座に合わせて20年に一度行われる行事で、社殿造営の用材を氏子が神社に曳いていきます。
伊勢参り、大神宮にもちょっと寄り
楽しみはお参りだけではありません。江戸時代の庶民にとってお伊勢参りは信仰心に加えて娯楽としても大きな楽しみでした。
古市
内宮と外宮の間にあった古市という花街は江戸の吉原、京都の島原と並んで日本三大遊郭の一つでした。
最盛期は妓楼が70軒、遊女が1000人、大芝居小屋が2軒の規模を誇りました。
伊勢音頭の総踊り
京都祇園の都をどりは古市の伊勢音頭を参考にして作られたものです。
この浮世絵には伊勢音頭の総踊りの様子が描かれています。古市を代表する妓楼であった備前屋の名物でした。
伊勢歌舞伎
芝居小屋では歌舞伎も上演されました。華やかな芸能文化が繰り広げられた古市の芝居は東西役者の登竜門となり、伊勢を訪れる人々の楽しみでした。
「伊勢音頭恋寝刃」は古市の廓の油屋で実際に起きた「お紺の油屋騒動」を脚色した演目です。
麻吉旅館
江戸時代に創業された旅館で当時の古市を偲ばせる唯一の建物です。
この宿で文珍さんが『七度狐』を披露します。大阪から伊勢参りに向かう清八と喜六、ひょんな事から恨みをかった二人が狐に化かされます。
伊勢音頭
伊勢音頭は「荷物にならない伊勢土産」と言われました。
ビデオでは伊勢商工会議所の女性たちが伊勢音頭を踊る様子が紹介されます。
「ヤアトコセー、ヨウイヤナ」「えーとこ、伊勢」というかけ声がかかります。
伊勢音頭は全国各地に広がり、現在もその地で形を変えて歌い踊りつがれています。
芭蕉も、お気に入り
1689年(元禄2年)第46回式年遷宮を松尾芭蕉が詠んでいます。
たふとさに みなおしあひぬ 御遷宮
芭蕉
伊勢の国と接する伊賀上野出身の芭蕉は深い伊勢信仰をもち、生涯に6回以上伊勢神宮を訪れました。
楽しみはお参りだけでありません
お伊勢参りにはいろいろな楽しみがありました。
神様に近づける
ご馳走は食べ放題
お酒は飲み放題
布団はふかふか
日頃出来ない娯楽や贅沢をしても、一方に神様がいることで心のバランスがとれたのです。日常を離れる旅に対する憧れ、一生に一度という強い願いが人々の心を魅了しました。
伊勢は憧れの地「庶民のワンダーランド」です。