DVD『お伊勢さん』を通して伊勢神宮の行事や歴史を紹介しています。 今回は伊勢神宮を取り巻く自然をフリーアナウンサーの草野満代さんが探ります。
伊勢神宮では自然の恵みを日々神様へお供えしています。神宮の営みを通じて、人が自然と共に生きることの意味を考えてみました。
常世の重波よする、美し国
天照大御神の神託です。
是神風伊勢國
則常世之浪重浪歸國也
傍國可怜國也
欲居是國この神風の伊勢の国は
「日本書紀」垂仁天皇25年
常世の浪の重浪帰する国なり
傍国の可怜国なり
この国に居らむと欲ふ
常世は海の彼方にある理想郷、その常世から波が打ち寄せる国だから「伊勢にいたい」と天照大神は述べて伊勢に鎮座しました。
伊勢志摩国立公園
三重県の志摩半島一帯を区域として1946年(昭和21年)に戦後初の国立公園に指定されました。海の国立公園でリアス海岸の深い入り江と大小の島々が特徴です。
伊勢湾は河川からの栄養分に恵まれた全国でも有数の漁場、伊勢神宮を流れる五十鈴川が育てた豊かな海です。
志摩半島の海女
鳥羽と志摩で古くから受け継がれてきた女性による素潜り漁法です。縄文時代や弥生時代の貝塚から大きなアワビ貝や、漁に使われた鹿角の道具が発見されています。『万葉集』や『延喜式』にも記述があります。
現在140人以上の海女がいます。ピーク時と比べて人数は減っており高齢化や後継者不足が問題になっています。
獲りすぎない、獲り尽くさない
アワビやサザエ、イセエビ、ウニ、ヒジキ、テングサなどが漁獲物です。海女漁は自然保護のために漁期や一日の漁の回数や操業時間、漁獲サイズに厳しい規則が設けられています。
御潜神事
伊勢神宮に奉納するアワビを採るため鳥羽と志摩の各地から海女が集まって行われるお祭りです。1871年(明治4年)御贄献進制度が廃止された後は正式な神事が途絶えていました。
式年遷宮を祈念して2013年6月29日に鳥羽市国崎町で御潜神事が行われました。この地では2000年前から伊勢神宮にアワビを納めています。本来海女は3回アワビを採りますが、今回は資源保護のためアワビをとる回数を減らして鮑稚貝を記念放流しました。
海の幸
アワビ
熨斗鰒はお祭りに欠かせない神宮御料のひとつ、古来の手法で調整された身取鰒と玉貫鰒が6月と12月の月次祭と10月の神嘗祭に奉納されます。
一般的には「鮑」と書きますが、神宮では『延喜式』に則って「鰒」と表します。
神宮鰒調整所
熨斗鰒は神宮鰒調整所で作られます。鰒調製所の起源は約2000年前、倭姫命が海女から差し出されたアワビの美味しさに感動して神宮に献上するよう命じたのが始まりです。
白装束姿の地元の古老たちが古来の手法で身取鰒と玉貫鰒を調製します。毎年6月から8月に行われる作業で一回に使うアワビは200kg、一つ一つ皮をむくように薄く切って干します。調製所の少し先にヒノキで造られた干し場があります。
鯛
毎年10月の神嘗祭と、6月と12 月の月次祭に篠島から干鯛を神饌として調進します。お祭りにお供えされる神饌の中で鯛は大切なものの一つです。
干鯛調製所
知多半島の沖合にある愛知県の篠島の干鯛調製所で古くからの伝統にしたがって鯛が調整されます。
真鯛の内臓を取り除き、海水で洗って塩を詰めます。1週間たったら海水で洗い、海岸に干します。晴天の日に2日間ほど乾燥させて完成です。
この干鯛を御幣鯛と呼び、御贄干鯛調製所では御幣鯛を年間508匹作っています。
御幣鯛奉納祭
10月12日には内宮御用を示す「太一御用」の幟を掲げた奉納船が御幣鯛を伊勢神宮に奉納します。
塩
神宮の全てのお祭りでお供えとして、また清めのために使われます。
入浜式塩田
伊勢神宮で使う塩は二見浦の五十鈴川河口にある塩田で作られます。この塩田を御塩浜と呼びます。
7月下旬に塩田に海水を入れ、海水を含んだ砂を真夏の太陽と風で乾かします。乾燥した塩の結晶を沼井でこして塩分の濃いかん水を採ります。御塩田神社へ運ばれたかん水を鉄の平釜で一昼夜煮詰めたものが荒塩です。
御塩殿祭
毎年10月5日に内宮所管社御塩殿神社で塩業の繁栄を祈ります。御塩浜の海水で作った荒塩を三角錐の土器に詰めて竃で焼き固めて堅塩をつくります。
伊勢神宮の森林
「御杣山」の復活
伊勢神宮の宮域林は標高300~500mの神路山と島路山の尾根に囲まれています。南北、東西ともに7~8kmで広さは約5,500ha、東京の世田谷区とほぼ同じ面積です。
式年遷宮では多くの社殿等を建て替えるため大量のヒノキが必要とされます。62回式年遷宮では1万本以上のヒノキが使われました。
1300年前から遷宮に使われるヒノキは伊勢神宮に隣接する宮域林から切り出されました。森林資源が枯渇したため鎌倉時代の終わり頃から他の地域のヒノキが使われています。
式年遷宮の木材が伐採されなくなった後も、江戸時代以降はお伊勢参りの流行で宮域林は薪炭林として藍伐されました。このため神宮の森は荒廃しました。
1923年(大正12年)「神宮森林経営計画」が策定されました。宮域林で植栽や保育を行って神宮の宮域林で式年遷宮の御造営用材を自給自足することが目標です。
2013年(平成25年)第62回式年遷宮では御用材の20%が宮域林のヒノキでした。供給された木材は80年以上の間伐材で内宮の垣根等になりました。鎌倉時代以来700年ぶりに「御杣山」が復活したのです。
宮域林の管理
宮域は神域と宮域林に分けられ、宮域林はさらに第一宮域林と第二宮域林に区分されます。
御鎮座以後神域の木に斧を入れたことはありません。このため樹齢600~800年の杉の大木が参道の真ん中に育っています。
第一宮域林は神域周囲と宇治橋付近、宮川以東の鉄道沿線より望見できる箇所で内宮の森を包み込むように広がっています。広さは1,094ヘクタール、神域と同様に生木は切らずに自然林として守られています。
第二宮域林は神域および第一宮域林以外の区域で面積は4,352ヘクタール、式年遷宮に使われるヒノキを200年かけて計画的に育成しています。この林では御用林として大樹を期待できるヒノキは二重ペンキ巻き、これに次ぐ木は一重ペンキ巻きの印がつけられています。
大樹の候補木が光を多く受けて成長できるよう二重ペンキ巻きの周りの木は伐られます。間伐した林地は生態的なバランスをとるため針葉樹林と広葉樹林の混合林に誘導されています。混交林は水源涵養機能が良いので緑のダムとして洪水災害の予防にも役立ちます。
自然と人の共生
西洋と日本では命について捉え方が異なります。西洋では魂は永遠で、死んだ後も天国を目指します。建築は石とレンガで強固な建物が作られました。
一方日本では生命は循環すると考えられています。建築には木が使われました。
木は枯れても根もとから芽が生えてきます。生命は循環して蘇ります。伊勢神宮も式年遷宮によって新たな活力を身につけてきました。
日本人は自然の中の一つとして自然とともに生きてきました。式年遷宮と自然、この永遠の循環を保つことでこれからも伊勢神宮と私たちは瑞々しくあり続けます。