空也は銀座6丁目の並木通りにある和菓子の老舗、創業明治17年(1884年)140年の歴史をもつ名店です。

屋号は空也上人にちなんでつけられました。
有名な最中の特徴は焦がした香ばしい皮、初代が九代目團十郎の食べ方をヒントに作り上げたもの。夏目漱石や谷崎潤一郎も愛した銀座の銘菓です。
目次
空也もなか
ひょうたん型をした小ぶりな最中です。
自宅用に10個を購入

無地の紙箱に二段重ねで入っています。蓋をとると焦がしたもち米が香ります。

最中には「空也」と刻まれています。
小豆と砂糖で作った餡は控えめな甘さ、姿も味もシンプル

日持ちは常温で一週間、硬くなったらお湯を加えてお汁粉にして頂くのもオススメです。
人気が高いので予約なしでの入手は困難

店内のカレンダーは予約が埋まった日に❌印がついていました。

予約を受けた最中はビニール袋に入れて並べられています。
夏目漱石
『吾輩は猫である』に空也が登場します。最中に添付されたしおりに小説の場面が紹介されています。
「えゝ其欠けた所に空也餅がくっ付いていましてね」と迷亭は‥‥
「あれぎり、まだ填つめないところが妙だ。今だに空也餅引掛所になってるなあ奇観だぜ」
夏目漱石 『吾輩は猫である』 より引用
水島寒月の前歯が欠けたところに空也餅がくっ付いている様子を描いています。寒月のモデルになった寺田寅彦の歯が椎茸で欠けたのは実話です。
そうして、いつかどこかでごちそうになったときに出された吸い物の椎茸をかみ切った拍子にその前歯の一本が椎茸の茎の抵抗に負けてまん中からぽっきり折れてしまった。夏目漱石先生にその話をしたらひどく喜ばれてその事件を「吾輩は猫である」の中の材料に使われた。この小説では前歯の欠けた跡に空也餅が引っかかっていたことになっているが、そのころ先生のお宅の菓子鉢の中にしばしばこの餅が収まっていたものらしい。
寺田寅彦『自由画稿』より引用
『吾輩は猫である』に登場するのは最中ではなく「空也餅」
「空也餅」は11月中と1月半ばから2月半ばまで作られる季節の和菓子です。今シーズンの販売は終わっていました。
谷崎潤一郎
谷崎潤一郎も空也がお気に入りでした。
伊吹和子『われよりほかに 谷崎潤一郎最後の十二年』によると
銀座で重子夫人と待ち合せて夕食をしたあと、ケテルではパンやソーセージ、その並びの空也では水ようかんと最中、あっちではケーキ、こっちでは果物と、買物は、夫人も私も、両手一杯になった。先生のお好きなおいしいものの店ばかりですから、位置と名前とをよく覚えてね、と、重子夫人はおっしゃったが‥‥
そして、拍子抜けしてあっけにとられている私に、「そんなことより、千疋屋だのコロンバンだの、よく覚えてくれましたか」と訊き、水ようかんを音を立ててすすり上げて、ごくん、と呑み込むと、「それで、ケテルでは、何を夕食にたべましたって?」と、尋ねられた。
伊吹和子『われよりほかに 谷崎潤一郎最後の十二年』p39より引用
伊吹和子は谷崎の晩年68歳から逝去する80歳までの12年間、口述筆記を担当した中央公論の編集者です。
谷崎夫人の松子も谷崎潤一郎と空也の思い出を記しています。
東京に出かけますといつも回るコースが定まっております。「千疋屋」で果物を買い、「開新堂」のケーキ、「ケテル」ではパンとソーセージ類、お三時用の「空也草紙」も欠かせません。
大橋善光『文士の食卓』p154より引用
食いしん坊だった谷崎潤一郎の日常が伺えます。
谷崎潤一郎が店名をあげているケテルは銀座5丁目の並木通りにあったドイツ料理のレストラン、コロンバンは銀座6丁目にあったフランス菓子店で『細雪』にも登場します。残念ながら両店とも今銀座にはありません。