『月と狂言師』で谷崎潤一郎が月見をした南禅寺は、朝の散歩にお勧めです。

南禅寺の水路閣の写真です。オレンジ色のレンガが、月日が経って周囲の自然に溶け込んでいます。

57歳でフリーターになったUn lapinです。平日に二泊三日の京都旅行をしました。前回は買い物にお勧めの京都の老舗を紹介しました。

京都の街歩き、買い物でお勧めの老舗を紹介します。

今回は早起きして南禅寺を訪ねました。谷崎潤一郎(1886-1965)の『月と狂言師』の舞台になった金地院がある寺院です。

ねじりまんぽ

地下鉄東西線の蹴上駅で降りて地上にあがると、煉瓦造りの歩行者用トンネルがあります。蹴上トンネル、「ねじりまんぽ」とも呼ばれています。

ねじりマンボと呼ばれるトンネルの写真です。煉瓦で作られた古いトンネルです。

土地によってまんぼ、まんぶ、まんぽと異なりますが、まんぽにはトンネルの意味があります。

まんぼ〔坑道を意味する「間符」に由来するものか〕
三重県鈴鹿市の内部川扇状地や岐阜県垂井町の扇状地で灌漑に用いた、地下水の集水トンネル。規模は小さいが、カナートに類似する。

『大辞林 第三版』三省堂 より引用

建設当時は船が台車に乗せられてトンネルの上を行き来していたので、耐久性を高めるためにレンガを斜めに積み上げました。このためトンネルに入ると渦が巻いているように感じます。

トンネルの北側に掲げられた扁額の写真です。雄観奇想と書かれています。

北側の扁額「雄観奇想」。

トンネルの南側に掲げられた扁額の写真です。陽気発処と書かれています。表面が薄れて読みにくくなっています。

南側の扁額「陽気発処」。こちらは傷み方が激しいです。

南禅寺

トンネルを抜けると別荘のある一角に出ます。しばらく歩くと谷崎潤一郎の『月と狂言師』の舞台になった金地院に着きます。

金地院

南禅寺の塔頭のひとつで、足利義持が創建した建物を移築しました。

南禅寺の塔頭のひとつ、金地院の門の様子です。金地院と書かれた表札が掛かっています。

金地院の建物の写真です。ここで谷崎潤一郎は月見をしました。

終戦後3年ほどたった頃、月見をかねた狂言と小舞の会に谷崎潤一郎は招かれました。狂言師の茂山千五郎一家と弟子たちによる洒脱な催しと風雅な月見の様子が描かれています。

子どもの狂言から始まり、小舞、狂言と続きます。この後に番外として、茂山千作が『弱法師』、茂山千五郎が『福の神』を谷崎夫妻のために舞います。

狂言の会が終わると、食事と酒が振る舞われて月の出を待ちます。

千作が唄を微吟し出すと、一同が後について合唱し、声はだんだん大きくなって行きます。そのうち、月白により辺りがぽうっとしてきます。

いよいよ山の彼方の空が明るくなったが、何だか月が大勢の合唱に釣り出されつつ、しずしずと舞台へセリ上がって来る感じで、その堂々たる出方は千両役者が登場するようでもある。

谷崎潤一郎『月と狂言師』中公文庫、2005年、p24 より引用

なんとも風雅な情景です。

月が中天に懸ると一転、酒席となり、千作を始めとした狂言師のかくし芸が披露されます。

それからあと、いろいろな人が代るがわる跳び出して来てはありとあらゆる滑稽、猥雑、狼藉の限りを尽したが、誰が何をやったのであったか一々は覚えていない。私は依然として勾欄に靠れながら、おりおり外に眼を移すと、中天にある月も、水面にある影も、此の騒ぎとは無関係にいよいよ冴え渡り、睡蓮の葉は前にもましてつややかにきらめいているのであった。

谷崎潤一郎『月と狂言師』中公文庫、2005年、p28 より引用

茂山家の人々と弟子たちが心から楽しんでいる様子が伝わります。

笑い、楽しさ、仲の良さ、気取りのなさ、一流の芸人たちが谷崎のために尽くす贅沢な時間が過ぎていきます。

この頃の谷崎潤一郎は南禅寺門前の家に住んでいました。「前の潺湲亭」です。

初めてこの家を見に行ったときに谷崎は、窓の外に流れる白川の水音を聞きながら亭号を思いつき、「潺湲居」か「潺湲亭」と悩んだあげく「潺湲亭」に決めました。

さらに中国から来日していた錢痩鉄氏が篆刻と額の揮毫を快諾してくれたので、入居する前に亭号と額の文字が出来ていたそうです。

その家は、南禅寺の門前から永観堂や若王子の方へ行く道にあって、うしろに白川が流れてい、一番奥の八畳の間は水に沿うて建てられていて、窓の下をゆくせゝらぎの音がすわっていてもしめやかに聞えた。

谷崎潤一郎、「潺湲亭」のことその他、月と狂言師 中公文庫 2005年、p152 より引用

昭和22年に水上勉が仕事でこの家を訪ねています。水上は文潮社という出版社の嘱託で、谷崎の『愛すればこそ』という作品を掲載する許諾をもらいに行きました。緊張した水上の様子が窺える文章です。

宇野先生の名刺を、下河原のお宅の玄関でお手つだいさんにさし出すと、玄関の右手の応接間へ通された。今から思うと通りに面した部屋だったのだろう。奥は白川に沿っているはずだから、川音は遠かった。

水上勉「谷崎潤一郎先生のこと」『谷崎潤一郎全集 第19巻月報』中央公論社 、1968年、p1 より引用

水上勉はこの月報の中で谷崎潤一郎との対面の様子と、後に谷崎が『越前竹人形』の批評を毎日新聞に3日にわたり掲載したときの感激を記しています。

谷崎は水上の「越前竹人形」を絶賛しました。

定期健診を受けて退院した谷崎は自宅の机の上に置いてあった『越前竹人形』のタイトルに好奇心をもって読み始めました。

だがまあ、何のかのと云ふものの、私は近頃これほど深い興味を以て讀み終ったものはなかった。めったに若い人の作品を讀んだことのない私であるから、知った風なこと云へないけれども、嘗て深澤七郎君の「楢山節考」を読んで以来の感激である。

谷崎潤一郎「『越前竹人形』を讀む」『雪後庵夜話』中央公論社、1967年、p170 より引用

文中で谷崎は『夢の浮橋』との関連について語っています。

ヒロインの玉枝と谷崎の『夢の浮橋』の京都弁を、同じ編集者が直したのも 不思議な縁です。

この後、昭和24年に谷崎は下鴨神社の糺の森へ転居しました。「後の潺湲亭」です。

建物は現在も残っていて、錢痩鉄氏が揮毫した額が書斎に掲げられています。

三門

「絶景かな 絶景かな」。歌舞伎『楼門五三桐』の石川五右衛門で有名な三門です。

南禅寺の三門の写真です。高さ22mの大きな建造物です。手前に桜の花が咲いています。

南禅寺の山門の中から境内を眺めた様子です。参道の両脇に桜が植わっています。花はまだ咲き始めです。

永仁3年(1295)に創立され、現在の三門は寛永5年(1628年)に再建されました。高さは22m。日本三大門の一つです。

楼上にあがって回廊を一周してみてください。急な階段を登ると、石川五右衛門が見栄を切った舞台に出られます。

絶景です。京都の町並みと南禅寺の景色を楽しめました。

水路閣

1888年(明治21年)年に作られた全長93m、高さ9mのアーチ型の水道橋です。

南禅寺の水路閣の写真です。幅4m、高さ9mのアーチ状の水路です。古い煉瓦が周囲の自然と調和しています。

南禅寺の水路閣のアーチ部分の様子です。早朝なので観光客はいません。レトロな落ち着いた雰囲気の建造物です。

煉瓦と花崗岩で作られたレトロな感じが、周囲の景観に溶け込んでいます。早朝だったので喧騒がなく自分だけの時間をのんびりと過ごせました。

早起きをして南禅寺を訪れました。地下鉄東西線の蹴上駅から歩いて10分程です。広い境内に多くの史跡があり、緑も豊かで京都の朝散策にお勧めします。

次回は南禅寺から歩いていける法然院の話をします。

法然院の枝垂れ桜の下に、谷崎潤一郎の墓はあります。

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