伊勢から鳥羽へ、鳥羽は穏やかな海と真珠の町です

鳥羽のみきもと真珠島に設置された御木本幸吉の銅像です。マントをはおり、山高帽をかぶった御木本幸吉が右手に杖をついて立っています。

伊勢神宮を参拝した後、鳥羽へやって来ました。鳥羽は穏やかな海と真珠の町でした。

鳥羽駅

名古屋から近鉄特急で1時間40分、外宮に近い伊勢市駅からは20分、内宮からはバスと近鉄で30分かかります。

鳥羽へ向かう近鉄特急の写真です。ボディーはオレンジ色です。

イルカの噴水

鳥羽駅の海側、道路を隔てて噴水のある公園があります。イルカの彫像が噴水を浴びていました。

駅前にある噴水の写真です。水面から飛び跳ねているイルカの彫像が噴水をあびた状態で設置されています。

1966年に鳥羽市はアメリカ合衆国のサンタバーバラ市と姉妹都市の提携をしました。このイルカの像は1989年にサンタバーバラ市から購入したものです。

鳥羽足湯処「とまり湯」

噴水の海側に鳥羽湾を眺めながらくつろげる足湯があります。

駅前の広場にある足湯です。手前に紫色の暖簾がかかっていて、暖簾には縦書きで「鳥羽足湯処 とまり湯」と書かれています。

神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばみ、うちみに効果があります。

湾内観光船から見た景色です。この日は快晴で青空が広がっています。

鳥羽駅前の佐田浜東公園からの眺めです。穏やかな海が広がっています。

鳥羽湾めぐりとイルカ島

鳥羽湾の沖にあるイルカの形をした島です。鳥羽駅近くの船乗り場から遊覧船で向かいました。

遊覧船による鳥羽湾めぐりの地図です。
志摩マリンレジャー「鳥羽湾めぐりとイルカ島」より引用

遊覧船は30分間隔で出港しています。

フラワーマーメイド

全長39m、重量200トン、定員360名の遊覧船です。

湾内を遊覧する船の写真です。船名はフラワーマーメイド号といい、全長39m、重量200トン、定員360名の遊覧船です。船体には、はまなでしこと花はまゆうが描かれています。

鳥羽市の花はまなでしこと伊勢志摩の代表的な花はまゆうが船体に描かれています。

フラワーマーメイドのデッキから見た鳥羽湾の風景です。

遊覧船から見た湾内の写真です。三ツ島と呼ばれる3つの小島が並んで見えます。波はとても穏やかでした。

三ツ島と呼ばれる3つの小島が見えています。

イルカ島

「真珠島・水族館前乗り場」を出港し、途中「鳥羽マリンターミナル」を経て25分ほどで到着

イルカ島のイラストマップです。島の形がイルカに似ています。
志摩マリンレジャー「イルカ島イラストマップ」より引用

リフト

142mの山頂に展望台があります。山頂まではリフトで2分、歩いて10分ほどです。

イルカ等のリフトの写真です。リフトは一人乗りです。

一人乗りのリフト、雪が積もっていないリフトに乗るのは初めてで少し怖かったです。

展望台

島全体と鳥羽湾の景色を360度見渡せる展望台

イルカ等の展望台の写真です。島全体と鳥羽湾の景色を360度見渡せます。

展望台からの景色は遮るものがない絶景でした。

イルカ島の展望台から眺めた景色です。湾内に島が点在しています。

360度のパノラマ、素晴らしい景色を楽しめます。

イルカ島の海岸の遊歩道から見た鳥羽湾の写真です。

イルカ島の海岸の遊歩道から見た鳥羽湾です。穏やか海を眺めながらでのんびりできました。

この島はイルカのショーや展望台だけでなく、整備された海岸線を散策するのがオススメです。

1時間ほど島歩きをしてから船に乗りました。イルカ島を出港すると25分ほどで真珠島・水族館前乗り場に到着、下船して隣のミキモト真珠島を見学しました。

ミキモト真珠島

鳥羽湾に浮かぶ小島、島全体が真珠のテーマパークです。この島で御木本幸吉は真珠の養殖に成功しました。

御木本幸吉銅像

1953年(昭和28年)建立、山高帽子とマントを身につけ、貞明皇后より賜った杖をついています。

鳥羽のみきもと真珠島に設置された御木本幸吉の銅像です。マントをはおり、山高帽をかぶった御木本幸吉が右手に杖をついて立っています。

御木本幸吉は1858年(安政5年)鳥羽市に生まれました。1893年(明治26年)35歳のときに世界で初めてアコヤ貝を用いた半円真珠を養殖、1905年(明治38年)に真円真珠の養殖に成功しました。

御木本幸吉は真珠販売を事業化して1899年(明治32年)に銀座へ出店、1927年(昭和2年)ニューヨーク、1928年(昭和3年)ロンドン、1929年(昭和4年)パリに支店を開設しました。

世界の真珠王と呼ばれ、1954年(昭和29年)に96歳の天寿を全うしました。

ミキモト真珠島には真珠博物館と御木本幸吉記念館があります。真珠だけでなく御木本幸吉の生涯と業績を知ることが出来ます。

『真珠ヶ島』の碑

碑文は渋沢栄一の揮毫によるもの、御木本幸吉は渋澤の薫陶を受けました。

鳥羽のみきもと真珠島に設置された石碑です。渋沢栄一の書で真珠の島と書かれています。

68歳の時、1926年から27年にかけて東廻りにアメリカ、ヨーロッパを巡り、インド洋を渡って帰航する10カ月の世界旅行をしました。旅の途中では渋澤の紹介状を携えエジソンと面会しています。

らぶらぶの石

御木本幸吉の銅像近くにある縦横ともに約53センチのハート形の石です。

鳥羽のミキモト真珠島にある「ラブラブの石」と呼ばれる石の写真です。縦横ともに約53センチでハート型をしています。

2005年ごろに真珠島の海女が見つけました

庭は広く目の前に鳥羽湾が広がっています。平日のせいか観光客も少なく、静かでとても良い環境でした。

鳥羽のミキモト真珠島から眺めた鳥羽湾の眺めです。海は穏やかです。

施設を見学した後は海を眺めながらのんびりと過ごしました。

穏やかな海

伊勢から鳥羽へ向かい、鳥羽湾を観光しました。鳥羽は穏やかな海が印象的でした。

遊覧船で島をめぐり、真珠島では真珠と木本幸吉のことを学びました。彼の生涯と業績は波乱に富んだ興味深いものでした。

豊かな自然の中で、のんびりと過ごせる鳥羽をオススメします。

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