「Say Hey Kid」みんな大好きウィリー・メイズ、No.1 Willie Mays、Joe Posnanski『THE BASEBALL 100』#7

このイラストは、ウィリー・メイズの子供の頃を描いています。メイズは帽子を跳ね飛ばしながら走っています。とても楽しそうに走っています。メイズは野球をしています。メイズは背番号24の白いユニホームを着ています。

2024年6月18日(日本時間19日)ウィリー・メイズが亡くなりました、享年93歳

Joe Posnanski, 2021.『THE BASEBALL 100』Reader Press
アメリカの著名な野球ライターであるポズナンスキーはメイズを野球史上最高の選手と評価しています。

ウィリー・メイズ(Willie Mays)

1951年から1973年までメジャーリーグで活躍しました。

3283安打、660本塁打、338盗塁、首位打者1回、本塁打王4回、盗塁王4回、MVP2回という驚異的な成績を残しています。

MLB史上最高の「コンプリート・プレーヤー」として、打撃、走塁、守備のすべてにおいて卓越したパフォーマンスを見せてくれた選手です。

私は伝説の「ザ・キャッチ」でメイズを知りました。

1954年ワールドシリーズ第1戦の8回表、センター後方に飛んだ大飛球を追ったメイズは全力疾走のまま背走し、ボールを見ないで肩越しにキャッチしました。

偉大な選手でしたが、メイズの名が日本で話題になるのは稀です。ベーブルースやルーゲーリックなど歴史上の選手たちだけでなく、同時代に活躍したハンク・アーロンやロベルト・クレメンテと比べても少ないようです。

左からロベルト・クレメンテ、ウィリー・メイズ、ハンク・アーロン

アーロンはルースの伝説を超えた通算755の本塁打、クレメンテはシーズンオフの慈善活動中の航空機事故で語られます。

『THE BASEBALL 100』でポズナンスキーは数字だけでなく多くの選手の物語を紹介しています。彼が語るメイズの物語を紹介します。

野球の記憶

野球について、初めての鮮明な記憶を思い出してください。

ボールを打つ、投げる、追いかけるといったシンプルな行動が野球の喜びの根源です。野球の魅力は、幼い頃の遊びの記憶と固く結びついています。誰かに教わらなくても、私たちは自然にボールやバットで遊んでいました。

野球カード、球場の色鮮やかな芝生、匂いや音、素晴らしいプレー。野球の記憶はプレーすることだけでなく、野球カードを開ける時の高揚感や、球場全体に広がる一体感など、五感を刺激する体験と結びついています。

そして野球の思い出はすべてウィリー・メイズにつながるのです。純粋な喜びや興奮、驚きといった野球の本質がメイズのプレーには詰まっています。ポズナンスキーはメイズを野球の純粋な喜びと興奮の象徴として描きます。

最高の野球選手

ポズナンスキーは、史上最高の選手はウィリー・メイズであると結論づけます。

異なる時代の野球選手の比較は非常に難しいことです。時代の異なる選手たちが同じ条件でプレーするところなど想像できません。

アメリカの人々にとって野球は単なるスポーツではありません。アメリカのアイデンティティと密接に結びついていた文化なのです。

野球が始まった頃、アメリカは独自のアイデンティティを確立できていませんでした。その頃に野球はアメリカで生まれ、国全体に広まりながら育っていきます。地域社会をつなぎ、人々に共通なものを与え、新しい言語を生み出してきました。

アメリカ人の夢を体現し、国の魂の探求と並行して独自のアイデンティティを野球は確立してきました。こうして野球は国民と分かちがたいものになっったのです。

多くの偉大な選手の名前をあげても、客観的なランキングは不可能です。最高の選手とはそれぞれのファンにとって特別な選手、つまり野球への情熱を呼び起こす選手であるとナンスキーは結論づけています。

あなたが野球のファンであれば、最高の選手が誰であるか知っているはずです。なぜなら150年以上もの間、野球はアメリカの文化と密接に関係してきました。ファンはそれぞれの思い入れや記憶に基づいて最高の選手を心の中で決めているはずなのです。

史上最高の野球選手を選ぶ基準は客観的なものではなく個人の感情です。最も優れた成績ではなく、どの選手が最も心を揺さぶり、野球への情熱を呼び起こしてくれたかにかかっています。

私たち一人ひとりが、心の中に最高の選手を持っているはずです。ポズナンスキーにとって、最高の選手はウィリー・メイズなのでした。

メイズの守備

メイズがセンターで守る姿を見ていると、自然と笑顔がこぼれて心のなかに幸福な思いが広がります。完璧なホットココアを飲んだ後のように心の中が温かくなるのです。

1951年8月15日、メイズはポロ・グラウンズのセンターの守備位置に立っていました。シーズン開幕時はミネアポリスの Triple-A(3A)でプレーしていたのに、わずか1ヶ月でメイズはメジャーリーグに昇格していたのです。

ミネアポリスでメイズは35試合に出場しました。打率は .477、二塁打を18本、三塁打を3本、ホームランを8本も打っています。しかし人々が魅了されたのは、彼の打撃だけではありません。

彼を特別な存在にしたのは、並外れたスピードと強肩、そして何よりも観客を魅了するセンターでの守備でした。メイズの守備はディマジオのような静かで優雅なものではありません。スピードとパワーに満ち溢れ、周囲を巻き込むような興奮に満ちたものでした。

彼の守備は観る者の心を幸福な気持ちで満たすパフォーマンスでした。メイズが打球を追いかける姿は、綿菓子とメリーゴーラウンド、花火、そしてビッグバンドの演奏が一斉に始まったような祝祭的な雰囲気を醸し出しました。

彼の野球に対する天賦の才能、メイズのすべての動作が純粋に喜びを表していました。メイズのプレーは観る人に笑顔と幸福感をもたらします。メイズの守備は単なる技術的な能力の表現ではなく、唯一無二の芸術であったのです。

そんなメイズもメジャーリーグに昇格した当初は苦悩しました。最初の26打席でヒットは1本、唯一のヒットはウォーレン・スパーンから打ったホームランだけでした。

打撃に苦しみ自信を失い、クラブハウスで号泣しているメイズに監督のドローチャーが語りかけました。

「打率など気にしていない。ちゃんと守ってくれればいいんだ」

ドローチャー監督の励ましと守備に集中することでメイズは才能を開花させました。次の24試合で打率 .402、長打率 .696という成績を残したのです。

それ以降のメイズは心配することがなくなりました。

そして誰も見たことがない素晴らしい守備を見せてくれたのです。

1951年7月25日、ピッツバーグとの試合でロッキー・ネルソンが左中間に大飛球を打ち上げました。センターを守っていたメイズはそのボールを追いかけて走り出します。そして最後の瞬間にグローブで捕球するのが不可能だと気づいたメイズは右手を伸ばして素手でボールをキャッチしたのです。

メイズの伝説が始まりました。

「Say Hey Kid」みんなの人気者

メイズのニックネームは「Say Hey Kid」でした。

明るく社交的なメイズは「ヘイ!」という喜びに満ちた挨拶で会話を始めるのが好きでした。彼は初対面の人にも気さくに「ヘイ、調子はどう?」「ヘイ、どこにいたの?」と話しかけたのです。

人懐っこいメイズをみんなが愛しました。メイズは「みんなの人気者」だったのです。

メイズは野球に対しても、あふれるばかりの喜びと情熱をもって取り組みました。彼の独特なプレースタイルは観客の楽しみでした。

メイズはグラブを腰のあたりで逆さまに構え、まるで天から降ってくるコインを捕まえるようにボールをバスケットで捕るようなキャッチをしました。

メイズのバスケットキャッチ

試合後にメイズは、よく子供たちとスティックボールをして遊んであげたりしました 。

飛び跳ねる帽子

全力疾走するメイズの帽子が飛ぶ姿は、彼の象徴的なシーンとして語り継がれています。その光景は崇高でさえもありました。

メイズの野球人生において帽子は走力と守備力の象徴でもありました。全力疾走するメイズの飛び跳ねる帽子は、彼のトレードマークとなり、ファンを魅了します。

帽子が飛ぶ理由は、彼の額の形や走り方など様々な説があげられています。メイズ自身も帽子がファンの心をつかんでいることを知り、パフォーマンスの一つとして、わざと大きい帽子をかぶるようにしていたと語っています。

メイズの帽子は、彼の神がかったプレーにも貢献しました。ある試合でメイズが大飛球を追いかけてボールを捕球した瞬間に帽子が落ちそうになりました。このとき、メイズは左手のグローブでボールを捕球し、右手で帽子をキャッチするという離れ業をやってのけました。

また別の試合で一塁から三塁へ走っている最中に帽子が落ちました。全力疾走していたメイズは突然止まって帽子を拾い、サードに滑り込んで間一髪セーフになりました。

彼のチームメイトでショートを守っていたアルビン・ダークは、メイズの素晴らしい守備に対する感謝の気持ちとして、外野にボールが飛ぶとメイズの後を追いかけて帽子を拾ってあげていました。

メイズの帽子は彼のプレースタイルと、彼を取り巻く人々の反応の両方を象徴するものでした。

ザ・キャッチ

1954年のワールドシリーズで野球史上最も有名なプレー「ザ・キャッチ」が生まれました。

9月29日ニューヨーク・ジャイアンツ対クリーブランド・インディアンスのワールドシリーズ第1戦、ポロ・グラウンズでの出来事です。この試合の8回表、2-2の同点の場面で、クリーブランドのビック・ワーツ(Vic Wertz)が一塁と二塁にランナーを置いて打席に立ちました。

ワーツが打ったセンター後方への強烈な打球に対して、メイズはボールを見ずに全速力で背走しながら左肩越しにボールをキャッチしたのです。ワーツの打球は420フィート(約128メートル)以上飛んでいたと推定されています。

メイズは捕球するとすぐに止まり、体を回転して内野に送球しました。作家アーノルド・ハノ(Arnold Hano)の言葉を借りれば「古代ギリシャのやり投げ選手の彫像のように」勢いに身を任せ、そして盲目的にボールを投げたメイズは地面に倒れ込み、そして帽子がメイズの頭から落ちました。

このプレーでメイズは二塁ランナーのホームへの生還を防ぎ、ジャイアンツはその後4連勝してワールドシリーズを制覇しました。メイズのこのプレーは「ザ・キャッチ」と呼ばれ、野球の歴史における最も象徴的な瞬間の一つとして語り継がれています。

「キャッチできるなんて思わなかったよ」と言うチームメートに対して、メイズは「最初からキャッチできると思ってたよ」と答えたそうです。

チームに対する献身

メイズの人間性を知ることができる重要なエピソードがあります。

1954年、メイズは兵役を終えてメジャーリーグに復帰しました。オールスター休暇の時点でメイズはベーブ・ルース(Babe Ruth)の年間60本塁打を上回る驚異的なペースでホームランを量産していました。

しかし、チームの勝利を優先するデュロッシャー監督はメイズにある指示を与えます。

「ホームランを狙うことをやめて、出塁率を上げることに専念して欲しい。これまで以上にチームの攻撃の火付け役になってくれ」

メイズは監督の指示に従いました。メイズはホームランを狙うことをやめたのです。シーズンの残り期間でメイズが打ったホームランはわずか5本、しかし打率.379、出塁率.442、長打率.601、16本の二塁打、7本の三塁打の記録を残しました。

そして、このシーズンのワールドシリーズでジャイアンツは優勝し、メイズ自身もMVPを獲得しました。「ウィリー・メイズは、私が今まで見た中で最高の選手だ」とデュロッシャー監督は優勝パレードで群衆に向かって称賛しました。

個人記録よりもチームの勝利を優先したメイズの献身は敬意を評されるべきものです。

コンプリートプレイヤー

打撃、走塁、守備のすべてにおいてメイズは突出した才能を持つ野球選手でした。メイズの能力はキャリアを通して記録された数字と逸話によって証明されています。

打撃と走塁において、メイズは比類のない能力を示しました。

例えば、二塁打を400本以上打った選手は189人いますが、メイズは523本も打っています。三塁打を100本以上打った選手は162人いますが、メイズは140本打っています。300本以上のホームランを打った選手は111人いますが、メイズはその2倍以上の660本もホームランを打っています。走塁においても250盗塁以上を記録した239人の選手を大きく上回り、338盗塁を記録しています。

単独でも難しい記録ですが、これらすべての記録を達成した選手はメイズの他にはいません。400本以上の二塁打、100本以上の三塁打、330本以上のホームラン、250以上の盗塁を記録した唯一の選手はメイズしかいないのです。

さらに打撃と走塁だけでなく、メイズは守備でも素晴らしいプレーで人々に感動を与えました。センターを守るメイズの姿は、多くの観客を魅了しました。メイズのプレーに観客は息をのんでいたのです。

メイズの守備は、まるで時を止めてしまうような魅力がありました。しかし自分のプレーを語るメイズの言葉は「ただボールを捕っただけだよ」でした。

メイズの才能は数字だけでは測れません。彼の野球の才能は状況判断能力、走塁技術、ランナーを牽制する技術、打席での駆け引きなど多岐にわたります。「この世に本物の天才は二人しかいないわ、ウィリアム・シェイクスピアとウィリー・メイズだけよ」と女優のタルーラ・バンクヘッドは語っています。

メイズの最も重要な功績は、彼が野球にもたらしてくれた喜びです。メイズのプレーは人々に喜びを与え、野球を初めて好きになったときの気持ちを思い出させてくれました。卓越した才能と感動を与えるプレーを通じて、メイズは私たちに野球の真髄を体現させてくれました。彼のプレーや、彼に関する物語に触れることは、野球というゲームを私たちが愛する理由を思い出させてくれるのです。

ウィリー・メイズは、子供たちを大人のように、大人たちを子供のように感じさせてくれる力を持った、特別な存在なのです。

メイズの死は野球界にとって大きな損失です。しかし彼が残した遺産は永遠に語り継がれます。メイズのプレーや物語に触れることで、私たちは野球を愛する真の理由をいつでも思い出せるのです。

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