1970年代後半、日本で大リーグブームが起こりました。まだメジャーリーグではなく大リーグと呼ばれていた時代です。日本人選手は一人もいませんでした。
当時一番人気があったのは、選手ではピート・ローズ(1941年4月14日 – )、チームはシンシナティ・レッズでした。
1977年にNHKがワールドシリーズ第1戦(ドジャースvsヤンキース、1977年10月12日)を放映、ヤンキースのレジー・ジャクソンが3打席連続本塁打を打ったシリーズです。
フジテレビはこの時期、録画中継(日曜『アメリカ大リーグ実況中継』、月曜『アメリカ大リーグアワー』)をレギュラー放送していました。
1978年日には米野球でシンシナティ・レッズが来日、ビッグレッドマシン(Big Red Machine)と呼ばれ、1970年から1978年にかけてワールドチャンピオン2回、リーグ優勝4回の強豪チームでした。
当時のメンバーから4名が殿堂入りします。
- スパーキー・アンダーソン監督(1934年2月22日 – 2010年11月4日 )2000年殿堂入り
- ジョニー・ベンチ捕手(1947年12月7日 – )1989年殿堂入り
- ジョー・モーガン二塁手(1943年9月19日 – 2020年10月11日)1990年殿堂入り
- トニー・ペレス一塁手(1942年5月14日 – )2000年殿堂入り
1番打者で三塁を守っていたピート・ローズは、史上最多の4256安打を記録しましたが、MLBから永久追放処分を受けて殿堂入りはしていません。
Joe Posnanski, 2021.『THE BASEBALL 100』Reader Press
アメリカの著名な野球ライターであるジョー・ポズナンスキー(Joe Posnanski, 1967 – )が野球史上偉大な100人を選出した本です。
この中でローズのランクは60位、「明と暗」永久追放処分の原因となったローズの賭博についてポズナンスキーが何を語っているのか知りたくて「No.60 Pete Rose」を読んでみました。
ピートローズ(Pete Rose,1941年4月14日 – )
1963年新人王
1973年首位打者(自身3度目)、シーズンMVP
1985年レッズのプレイングマネージャーに就任
1986年MLB史上最多の4256安打を達成
1989年MRLを永久追放処分
輝かしい球歴をもち、チャーリー・ハッスル(Charlie Hustle)の愛称で、いつでも全力疾走し、猛烈なヘッドスライディングを見せてくれたピート・ローズが、こんな野球人生になるとは思いもしませんでした。
疑わない、揺るぎなき信念
肉体的なハンデがありながら、ローズはなぜメジャーリーガーになれたのでしょう。
ポズナンスキーはローズの強い意志を強調します。ローズの性格には疑念や恥辱、恐怖や後悔を感じさせない何かがあります。
「自分はメジャーリーガーになる」子供の頃から信じていたこの思いをローズは捨てませんでした。
では、もしローズと同じくらい強く望めば、私たちはメジャーリーガーになれたのでしょうか。子供時代とは、徐々に現実を理解していく過程でもあります。
段階を経るごとに私たちの夢は砕かれ、自分には十分な才能がないという現実に私たちは悩まされるようになります。小さな挫折を重ねるたびに夢は薄れていきます。
しかしローズは何ものも彼を止められないことを知っていました。そして実際に彼を止めるものはありませんでした。
その性格が、彼をメジャーリーガーにさせ、史上最多安打記録の保持者にさせました。しかし一方で彼のうちの何かが、ローズをアメリカ史上最も有名な永久追放されたアスリートにしてしまったのです。
チャーリー・ハッスルの誕生
ウェイティングサークルから走ってバッターボックスに向かう
四球を選ぶと一塁に全力疾走
イニングの間も全力でフィールドを行き来する
猛烈なヘッドスライディング
誰かが止めるまで塁を走り続ける
若い頃のピート・ローズのスピードは息を呑むほどでした。しかし、人々を惹きつけたのはスピードではなく、ローズのプレースタイルそのものだったのです。
「息子は試合を休まない、練習をサボらない、休暇を取らない、そしてどんな時でも全力でプレーする」
全力疾走は父との約束です。8歳でリトルリーグに入団した時、父親はコーチと約束をしました。ローズはこの約束をメジャーリーガーになっても守り通したのです。
「ローズは火傷した犬のように走り続けていた」
マイナーリーグのタンパで監督を務めたジョニー・ヴァンダーミアはローズに対してこんな印象を残しています。
「見ろよ、あそこにいるチャーリー・ハッスルを」
1962年春、初めてのメジャーリーグのキャンプでのことでした。ヤンキースとの試合で全力疾走するローズを見たホワイティ・フォードは、ミッキー・マントルに語りかけました。こうして「チャーリー・ハッスル」は誕生しました。
* Charlie Hustle(チャーリー・ハッスル:必死にプレーする奴)
野球への愛と情熱
ローズはその野心の力で野球界最大のスターになりました。しかしローズは野球史上最高の選手ではありません。自分のチームの中でさえ最高の選手とは言えませんでした。
それでも、ローズは野球界の中心人物になりました。どんな場合でも全力プレーを惜しまないローズの姿を見ることは、郷愁をかき立て、野球という魔法の世界に入ることでした。
ローズは野球を愛していました。
ポズナンスキーは、あの有名な1975年のワールドシリーズ第6戦におけるローズの野球に対する愛と情熱を記しています。
延長11回、35年ぶりのワールドシリーズ制覇にあと1勝と迫ったレッズを、レッドソックスが阻止しようとする緊迫に包まれた中で、ローズは打席に立ちます。
「なんて素晴らしい試合なんだ。この試合のことを将来、孫たちに話してあげるんだ」
ローズはレッドソックスの捕手カールトン・フィスクに語りかけました。
そして、死球で一塁に出塁すると、ベース上でカール・ヤストレムスキーに声をかけます。
「これまでで最高の試合だよ!」
ヤズは一瞬たりとも気を抜かず、常に試合に真剣に取り組む選手でした。しかしローズの熱意に心を打たれてうなずきました。
ローズは、彼の情熱に匹敵する人であれば誰とでも何時間も野球について語りあいます。野球を愛するローズのパワフルなプレーは、多くの子供たちに野球選手になる夢を抱かせてくれました。
永久追放処分の真実
1989年8月24日、ローズは野球から永久追放されました。しかし野球に賭けたことを認めれば、1年間の出場停止処分の後に野球界に戻るチャンスがあったのです。
MLB規約第21条「ギャンブル禁止規定」には2つの規定があります。
- 自分が関与しない試合でも野球に賭けた場合は1年間の出場停止
- 自分が関与している試合に賭けた場合は永久追放
コミッショナーのバート・ジアマッティは穏便な和解を望みます。ローズがチームに賭けたことを知っていましたが、ローズ罰を1年間の出場停止処分で済ませたいと考えていました。
ローズがすべきことは、野球に賭けたことを認め、その罪を償うと約束することでした。しかし残念ながら、彼は頑なに事実を認めませんでした。ローズは変われません。彼はローズのままで、自分の生き方を一切変えようとしなかったのです。
1989年8月24日、和解が成立します。実際には和解ではありません、ローズにとって最悪の内容でした。MLBはローズを永久追放しました。そしてローズは合意書に署名をさせられます。
- ここに記載された罰則を課すための事実上の根拠を有していることを認め、ここに課された罰則を受け入れる
- 罰則に対して法廷やその他の場所で異議を唱えない
- コミッショナーまたはその代表者に対していかなる種類の法的手続きも開始しない
ローズが得たものは何もありません。
- MLBは野球賭博の調査を中止する
- ローズは自分が野球賭博をしていたと認める必要がない
- MLBはローズがレッズに賭けたことを公に非難しない
すでに野球界における死刑宣告を受けていたローズは、野球賭博を認めなくてもゲームに戻れる可能性はなくなっていたのです。ピート・ローズが復帰することは決してなく、今後もその可能性はありません。
殿堂入りは可能か?
ローズは殿堂入りについて聞かれると「考えたこともない」と返事をします。しかし、その言葉には確信がないようです。
永久追放された人物が野球界最高の栄誉を受けることができるのでしょうか?
ローズが追放処分を受けた後、ジアマッティは殿堂入りについて「ローズの歴史的な評価は殿堂入りを決める投票者に委ねられるべきだ」と語りました。しかし、1990年、野球殿堂博物館の理事会は投票を行い「MLBから永久追放処分を受けた者は殿堂入りの対象にならない」と決定しました。
悲しい話ですが、これはローズ自身の過ちです。彼は野球の最も大切なルールの一つを破っただけでなく、罪を認めて罰を受け入れることを拒否したのです。
ポズナンスキーは確信しています。
「もしローズがジアマッティに対して過ちを認め、人生を改めたいと伝えていたなら、彼は今も野球界に残り、クーパーズタウンで殿堂入りしていたでしょう。しかし、そうなっていたら、彼はピート・ローズでなくなってしまいます」
フランク・ロビンソンは晩年「ローズは殿堂入りにふさわしくない」と公の場で発言しました。
ロビンソンは若い頃のローズの中に、ひとりの傷つきやすい “Underdog(弱さをもった若者)” を見ていました。ロビンソンはローズに、ルールを守ってゲームを正しくプレーすることの大切さを何度も話していたのです。しかしローズは変われませんでした。
変われない、変わらない「ピート・ローズ」
ポズナンスキーはローズについて次のように語っています。
ローズほど野球を愛した人はいません。そして自らの最悪の衝動に身を任せて、彼ほど野球で多くのものを失った者もいないでしょう。それでもなお… 私にはローズが変わったとは思えません。人々が望むように、期待するように、あるいは希望するようには変わっていないのです。彼は生涯ピート・ローズであり続けるのです。
ローズは今、ラスベガスのスポーツ用品店に座ってサインをしています。会ってみれば、すぐにローズだと分かります。年をとり、体重も増えましたが、紛れもなくピート・ローズそのものです。
彼は野球、競馬、スポーツ賭博、セックス、車、アクションなど、人生を通じて多くの強迫観念に引き寄せられてきました。
ローズは変われるのでしょうか? 彼は変われません。もしできたとしても変わろうとしないでしょう。すべてが一つの同じ物語の一部なのです。
ポズナンスキーは『The Machine: A Hot Team, a Legendary Season, and a Heart-stopping World Series: The Story of the 1975 Cincinnati Reds』William Morrowという本を2009年に出版しています。
史上最強のチームのひとつとされる1975年のレッヅが、レッドソックスを破ってワールドシリーズを制覇するまでの快進撃が描かれています。出版は2009年ですが、ポズナンスキーはローズの努力と寛容、負けまいとする闘志を鮮やかに思い起こしてくれます。
ポズナンスキーの「ローズほど野球を愛した人はいません」という評価に「罪を憎んで人を憎まず」という言葉を思い出しました。